「鷲之巣金山」と黄金の道『秀衡街道』

 平泉の金色堂で代表される「黄金文化」は、藤原清衡が嘉保2年(1095年)平泉に居を移してから、基衡・秀衡の代、文治5年(1189年)まで約百年続きました。その「黄金文化」を支えたものは大量の「金」でした。

 この「鷲之巣金山」をはじめ町内各金山から産出された「金」と、出羽産出の「金」を、黄金の道『秀衡街道(ひでひらかいどう)』をつかって仙人峠から平泉へと運ばれたと言い伝えられています。

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「鷲之巣金山跡」の位置

 奥羽山脈の脊梁部に位置する湯田地域のほぼ中央部に位置し、海抜240mから500m山岳地帯の鷲之巣(わしのす)川入口付近にあります。

 

「鷲之巣金山跡」の沿革

 「鷲之巣金山(わしのすきんざん)」は、金を産出したといわれる数々の鉱山と違って、過去に掘られた形状がそのまま残存しているところです。「たぬき掘り」、「吉次掘り」と称される掘り跡が見られ、平泉時代とのつながりをしのばせる鉱山跡です。

 内部を探索すると、近代的な掘り跡も見られることなどから、その時代時代に即した開発の盛衰が感じられる鉱山でもあります。