西和賀の先人 深澤晟雄(1905~1965)
深澤晟雄 (ふかさわまさお) |
業績(深澤晟雄胸像顕彰碑文から) |
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沢内村(さわうちむら)の自然(しぜん)は美(うつく)しい、然(しか)し冬季(とうき)は激(はげ)しい豪雪(ごうせつ)のため原始社会(げんししゃかい)に還(かえ)り、交通(こうつう)はもとより産業(さんぎょう)も文化(ぶんか)も麻痺状態(まひじょうたい)に入(はい)り、しかも生命(せいめい)を維持(いじ)する最低(さいてい)の医療手段(いりょうしゅだん)さえ失(うしな)う生活(せいかつ)を余儀(よぎ)なくされた。 昭和(しょうわ)三十二年(さんじゅうにねん)深澤晟雄(ふかさわまさお)氏(し)村長(そんちょう)に就任(しゅうにん)するや、理想(りそう)高(たか)く正義感(せいぎかん)の強(つよ)い氏(し)は、この自然(しぜん)の猛威(もうい)を克服(こくふく)することを悲願(ひがん)として奔走(ほんそう)、ついに村(むら)と県都(けんと)盛岡(もりおか)までの冬季交通(とうきこうつう)を確保(かくほ)し、特(とく)に医療行政(いりょうぎょうせい)において老齢者(ろうれいしゃ)、乳児(にゅうじ)に対(たい)する国保(こくほ)の十割給付(じゅうわりきゅうふ)を断行(だんこう)、村民(そんみん)の平均寿命(へいきんじゅみょう)の延長(えんちょう)、乳児死亡率零(にゅうじしぼうりつゼロ)の金字塔(きんじとう)を打(う)ち樹(た)てたことは、村史(そんし)に銘記(めいき)すべき不滅(ふめつ)の業績(ぎょうせき)である。六千村民(ろくせんそんみん)、氏(し)の輝(かが)やかしい遺業(いぎょう)を受継(うけつ)ぎ、更(さら)に本村(ほんそん)の発展(はってん)と飛躍(ひやく)を期(き)し「村民(そんみん)の道標(どうひょう)」として、茲(ここ)に氏(し)の胸像(きょうぞう)を建立(こんりゅう)永(なが)く記念(きねん)するものである。 |
生涯
1905年 | 明治38年 | 沢内村太田(現:西和賀町沢内字太田)に生まれる 父晟訓、母タミの長男 |
1912年 | 明治45年 | 沢内村立新町小学校太田分教場入学 |
1918年 | 大正7年 | 沢内村立新町小学校高等科進学 |
1919年 | 大正8年 | 岩手県立一関中学校入学 |
1925年 | 大正14年 | 仙台第二高等学校入学 |
1928年 | 昭和3年 | 東北帝国大学法文学部入学 |
1931年 | 昭和6年 | 東北帝国大学法文学部卒業 |
中華民国上海銀行、台湾総督府、満州拓殖公社、満州重工業東辺道開発会社北支開発山東鉱業会社に勤務 | ||
1946年 | 昭和21年 | 帰郷し農業に従事、青年会学習講座講師 |
1948年 | 昭和23年 | 佐世保船舶工業株式会社、日東開発鉱業株式会社、日本蛍光燈株式会社、日本温泉建設株式会社に勤務 |
1954年 | 昭和29年 | 帰郷し農業に従事、岩手県立黒沢尻南高校沢内分校(英語講師) |
沢内村教育長(昭和29年5月~昭和31年9月) | ||
1956年 | 昭和31年 | 沢内村助役(昭和31年10月~昭和32年4月) |
1957年 | 昭和32年 | 沢内村長(昭和32年5月~昭和40年1月) |
1965年 | 昭和40年 | 病気のため、福島医大付属病院にて死去 |
深沢村長時代の主なできごと
1957年 | 保健婦2名採用・沢内村保健委員会を設置 夏期予防活動を実施(岩手医科大学) ブルドーザーを借上げ、道路除雪始める |
1958年 | 農地開発・道路除雪のためブルドーザー1台購入 養老手当の支給(70歳以上) |
1959年 | 保健連絡員20名を置く 東北大学から沢内病院へ医師を招聘 |
1960年 | 湯本-川舟間の除雪、湯本-太田間の定期バス運行 沢内病院再建計画、沢内村地域医療計画の樹立 沢内村公衆衛生組合連合会の結成 65歳以上の老年者に国保10割給付を実施 政府売渡米10,000俵を突破 |
1961年 | 国保10割給付を60歳以上老人と1歳未満乳児に拡充 |
1962年 | 血圧総合検診の実施(岩手医科大学・東北大学) 乳児死亡率ゼロを達成 |
1963年 | 保健文化賞(第一生命主催)受賞 政府売渡米20,000俵を突破 盛岡-湯本間定期バス開通 |
1964年 | 岩手日報文化賞(健康モデル村)受賞 沢内村教育振興運動推進協議会の結成 |
1965年 | 全国町村会長表彰(挙村一致の健康管理) |
過去記事 広報さわうち
・ 教育長時代 青年団との座談会 [484KB pdfファイル] (PDFファイル: 483.9KB)
・ 助役時代 助役就任 [464KB pdfファイル] (PDFファイル: 463.3KB)
・ 村長時代 村長初当選 [480KB pdfファイル] (PDFファイル: 479.5KB)
・ 村長時代 昭和32年所信表明 [497KB pdfファイル] (PDFファイル: 496.5KB)
・ 村長時代 ブルドーザー導入計画 [420KB pdfファイル] (PDFファイル: 419.5KB)
・ 村長時代 昭和33年施政方針 [461KB pdfファイル] (PDFファイル: 460.4KB)
・ 村長時代 65歳以上国保十割給付 [503KB pdfファイル] (PDFファイル: 502.7KB)
・ 村長時代 昭和36年施政方針 [426KB pdfファイル] (PDFファイル: 426.0KB)
・ 村長時代 盛岡定期バス開通 [451KB pdfファイル] (PDFファイル: 451.0KB)
・ 村長時代 昭和39年新年の抱負 [782KB pdfファイル] (PDFファイル: 781.2KB)
・ 村長時代 生命村長の死 [416KB pdfファイル] (PDFファイル: 415.5KB)
深澤晟雄胸像
【所在地】 西和賀町沢内字太田2-68 旧沢内病院敷地内深澤晟雄資料館前庭 |
深澤晟雄資料館
平成20年10月開館 |
【展示物】 深澤村長が実際に使っていた物、その他写真・書類・映像資料 【所在地】 〒029-5614 西和賀町沢内字太田2-68(旧沢内病院隣) 【ホームページ】 http://www.nisiwaga.net/masao/siryoukan.htm 【連絡先】 管理運営:NPO法人深澤晟雄の会 電話:0197-85-3838 |
劇映画 いのちの山河~日本の青空2~
2009年10月~2011年3月全国各地で上映されました
更新日:2020年05月08日